帰省中の日記も今回が最後。
夏の眩しい光が実に色あせた感じでもありますが・・・お許しください(汗)
祖父母のお墓参りに萩へ。
今回はじぃも一緒に連れて行きました。
じぃは祖父母が飼っていた犬です。
ちなみに私が幼い頃からずっとチワワを飼い続けていて
代々名前が「じぃ」。
メス犬を飼ったら「ばぁ」にすると言ってたのは、冗談かと思いきや、
本当に「じぃ」と「ばぁ」をおじいじいとおばあばあが連れての図になって。
そのばぁも去年亡くなり、ゲンも亡くなり、1人残されたじぃ。
祖母が体調を崩して入院してからは実家で引き取り、
外出のときはいつもお留守番だったのだけど、ゲンもいなくなったしで、
何年ぶりになるのかな、じぃを連れていきました。
祖父がいた頃は亡くなる前まで週2日くらいで長距離のドライブをしていた、
車は慣れている犬です。
おじいじい、おばあばあのいるお墓、じぃがやってきた。
本人(犬?)どんな思いかなぁ。通じているのかなぁ。
感無量の瞬間、と思いきや・・・
お寺さんのお姉ちゃんたち、去年坊が来た時のことも覚えてくれていて、
プラス今年はじぃも一緒!とみんなよってたかって?大騒ぎ。
にぎやかでおじいじもおばあばあも嬉しかっただろうなぁ。
生前「おじいじいたちが亡くなったら、
あんたたちがお墓参りに来てくれたらおじいじいは嬉しいんよ。」と言ってた。
お寺に行くと、おじいじいの後を追う幼い日のことを思い出します。
大好きな祖父が亡くなってまもなく10年になるけど、
もう亡くなって悲しいという感情も少なくなってきて、
代わりにこうして次の世代が育ってきていることが、
当然の摂理というか、人生って限りのあること、
いつの間にかこうして自然と受け入れられるようになってきてるなぁと。
坊も「死」ということについて理解する年になったよう。
「なんでゲンちゃんは死んじゃったの?」
「坊が生まれるずっと前から生きてて、もうおじいちゃんだったんだよ。」
「今お星さまになって、みんなのこと見てるの?」
とか、違うときに突然
「お母さん死んだらいや。」とか。
いつの間にかそういう感情も出てくる年になったのですね。
萩。
以前は萩に来ても、ゲンの散歩の時間もあって急ぎ足で帰っていたけど、
今回はじぃも連れて来たとはいえ、夏の暑い時期、かえって酷だったかなぁ?
今度はゆっくりと泊まりで訪れたい場所です。
かつて萩に家があった頃、よく食べていたふじたの蕎麦。
お盆にはお墓の灯籠を灯し、家のお風呂、五右衛門風呂に入り、
お寺だらけで道は狭い、なんか時代が止まったままの街、
が幼心に怖くて早く帰りたかった思い出が。
(でも江戸時代の地図そのまま現代でも使えるという街はすごい。)
おじいじいがいつも食べきれないほどの量を出前で頼んでいたなぁ。
店鋪に行ったのは初めてのこと。
お決まりのざるそばを。甘辛いお汁、変わらず美味しかった。
松陰神社にお参り。
かつて萩に行ったとき、東京から来たといったら、
「東京の松陰神社をよろしくお願いします。」と言われたことが。
その思い、確かに。
小さい頃からおじいじいに松陰先生や高杉晋作のことをたくさん聞かされてきたので。
松陰神社の中にある松下村塾
幕末〜維新に活躍した志士たち。
おみくじをひきました。
右下に「凶を引かれた方はお申し出ください。」とあります。
そんなこともあるもんだと、引いて出てきたのは・・・凶でした!うちの父です。
ちなみにお箸をいただいてました。(笑)
ちなみに萩は東京から福岡へと向かう飛行機の中から、萩の街が見えるのです。
頭上から失礼しますだけど、拝んでます^^
関門海峡を渡ると九州。
いつもホッとしたような、帰ってきたような気持ちになります。
北九州市側の門司港レトロエリア、大正時代の面影残す街並です。
この門司港駅は老朽化で9月から改装工事、5年もかかるそうです。
帰りの飛行機は母子2人で。
空港の乗り物や働く人に興味津々な坊、機中も寝ることなく普通に過ごしてて、
長距離の移動もラクになったものです。
こんなに美しい空、極上のヒーリングタイムでした。